藤沢武夫『経営に終わりはない』

S.

2012年05月23日 19:23

社長が全体会議で触れていたので、改めて。



藤沢武夫 - Wikipedia

(ふじさわ たけお、1910年11月10日 - 1988年12月30日)は実業家。東京市出身(本籍は父の出身地である茨城県結城市)。本田宗一郎と共に本田技研工業(ホンダ)を世界的な大企業に育て上げた。

『経営に終わりはない』
目次
一、生命をあずかる仕事
二、思いがけぬ危機
三、本業以外に手を出すな
四、万物流転の法則
五、経営者の心構え
六、模索と学習の日々
七、たいまつは自分で持て
八、海のむこうへ
九、頭の切り替え
十、本田かぶれ


もちろんビジネス書ではあるのですが、痛快な冒険物語を
読んだ後の様な、清々しさが残ります。

私は特に、藤沢氏と本田氏の強い信頼関係に憧れを抱きました。
書評はいくらでもあると思いますので、ここでは私がグッと来た言葉をご紹介します。

まず、二人が出会った場面から。

藤沢氏
 「私は商売人だから、これからいっしょにやるけれども、別れるときに損はしないよ。
 ただし、その損というのは、金ということではない。何が得られるかわからないけれども、
 何か得るものを持ってお別れするよ。だから、得るものを与えてほしいとも思うし、
 また得るものを自分でもつくりたいと思う。」

本田氏
 「うん、結構だね」


世界のホンダの両輪は、たったこれだけの会話で揃ったそうです。
ただ共同で何かをやる場合に、これ以上の決め事はいらないとも感じます。

次にボーナスが五千円に決まり、猛反発した労働組合へ
たった一人で交渉に臨んだ時の話。

執行委員長
 「この五千円という額をどう思うか」

藤沢氏
 「問題にならない低い金額だ。しかし、もう少し出せたとしても、あとで会社がつぶれたときに、
 なぜあのとき頑張らなかったのかと追及されるとすれば、経営者としてまことに申し訳ない
 ことになる。それよりも、年明けて三月ごろになればまた車も売れるだろうから、そのときに
 また団体交渉をしたい」


会場は万雷の拍手で包まれ、組合員からは「頼むぞ!頼むぞ!」という声が上がり
藤沢氏は涙をこぼしたそうです。

次に、空冷エンジンから水冷への転換を本田氏に進言した際のやりとり。

藤沢氏
 「あなたは本田技研の社長としての道をとるのか、それとも技術者として本田技研に
 いるべきだと考えるのか、どちらかを選ぶべきではないでしょうか」


沈黙ののち、

本田氏
 「やはり、おれは社長としているべきだろうね。」
藤沢氏
 「水冷でやらせるんですね?」
本田氏
 「そうしよう。それが良い」


この人がいなければ、ホンダは本田のままだった、
という事がよく分かる場面だと思います。

そして一番のクライマックスは、二人がホンダを去る時です。
私は何度読んでも、泣きそうになります。笑

ここだけ取り出して紹介してしまってはもったいなさ過ぎるので、
ぜひ全て読んで、P227を迎えて下さい。

事実はワンピースより面白いです。笑

関連記事